キュート・アグレッション



可愛い動物を前にしたとき、可愛さのあまりぎゅっとつぶしたい、ぐしゃぐしゃにしたいと思ったことはないだろうか?
僕は思った。
ヴィクトルが僕に組み敷かれ、白いシーツの上で熱に浮かされ身悶えしながら僕を受け入れているのを見たときに思った。

明確にハッキリと、否定できないほどの破壊衝動を感じた。

そして僕がその感情に支配された夜は、往往にしてヴィクトルの意識がなくなるまで激しく攻め立てるのだ。言葉と身体で。

「いじわるしないでよ…っ」
「いや!やめて、ユウリやめて…あっ」
「ひぐぅ…あぁ…ッ」


・:*三☆・:*三☆・:*三☆


ここ最近、僕は常に「ヴィクトルを滅茶苦茶にしてやりたい…!」と思っている。

ヴィクトルと出会い、ヴィクトルと過ごし、ヴィクトルを通して「愛」を知り、ヴィクトルのおかげてメダルを取り、僕の中でヴィクトルが大きくなるにつれ、その感情は僕の中で大きくなっていったように思う。ハッキリしたことは自分でもわからないが、きっと今までも無自覚にこの情動を抱えていたのだろう。ただ今までの僕はその感情の発散方法を幸か不幸か知らなかったのだ。
しかしロシアに拠点を移し、ヴィクトルと恋人関係になって、僕は攻撃対象を手にしてしまった。

「食べちゃいたくなるほどかわいい」という言葉は世界共通で使われる表現だが、言葉通りにとらえたら危ない人のようだし、実行したらとんでもないことになる。
でも僕はヴィクトルのことを食べてしまいたいと思っている。その白くて滑らかな肌に齧り付きたいと思っている。滅茶苦茶にしてやりたいと思っている。

想像してみてほしい。彼のシャープな顎のラインを描くあの頬に、前触れなく唐突に思いっきり噛り付いてみたら…ヴィクトルはどういった反応を示すだろうか。
頬を齧るなんてベッドの上でもしたことがない。性的ですらないその行動を前に、彼は酷く困惑するのではないだろうか。

齧られた頬の痛みに目を潤ませながら動揺する彼の姿はとても可愛い。

本当に可愛くて可愛くて…もっともっと虐めたくなってくる。
こんなことを言うと「変態」とか「猟奇的」と思われるから誰にもいわないが、でもそんなに異常な感情だろうか?

可愛いものへの攻撃性は、本来、誰もが持っているものだと僕は思う。実際、米国の心理学者に言わせると「かわいい動物を見ていたぶりたくなるのは、実際に触れることができないフラストレーションによるもの」との見解がある。
要するに、人は可愛いものを見ると興奮状態に陥り、自分自身の感情をコントロールできなくなるのだ。そんな過剰な反応に対するフラストレーションが可愛いものへの攻撃性に繋がる。
そして一般的にこのフラストレーションは、対象のかわいい動物に実際に触れられないときにより一層強くなるという。

ここだけの話、僕はこの話を聞いたとき下半身が軽く疼いたことを覚えている。

人々はかわいい動物を傷つけたいと思っているわけではなく、むしろ撫でたい、愛でたいと思っているのに、それができないからフラストレーションを感じているわけだ。かつてヴィクトルのポスターに性器を擦り付け、彼を汚していた若かりし日の自分を思い出して胸が熱くなる!

大好きなんだ!
大好きなんだよヴィクトル!!
ヴィクトル!

賢者タイムが訪れると自己嫌悪に陥るが、僕は長らくこの行為をやめることができなかった。
ヴィクトルに触れることはおろか話しかけることすらできない僕にとってポスターだけが唯一の攻撃対象だったのだ。ヴィクトルに酷いことをしたくて堪らなかった…。
ひんやり冷えたポスターの、あのつるつるの感触は、まるでヴィクトルに冷たくされているようで堪らなく興奮したことも覚えている。

しかしこれだけでは今現在ヴィクトルに触れることができる僕が、ヴィクトルに対して抱えている破壊衝動を説明することは難しい。

僕は異常者なのか、それとも変態的にヴィクトルを愛しているのか。
この感情に蓋をすべきなのか、はたまた向き合うべきなのか。

悩む僕。
日増しに僕と距離を取りたがるようになっていくヴィクトル。
訝しむ周囲。

止まらないヴィクトルへの愛と破壊衝動。

答えを求め自問自答の日々を送る僕に、しかし答えは意外な場所からやってきた。
この国には年に一度、リアルタイムの生放送で大統領がどんな下らない質問にも答えてくれるという日本では考えられない番組が毎年用意されているのだ!

ちなみに、僕が見たのは二年前の再放送で質問者は7歳のピーテル在住の女の子だった。

『犬を飼ってるの。ヴィクトルと同じ犬よ?
とっても可愛いの。
でも意地悪しちゃうの。とっても可愛いのに困らせたくなっちゃう。ママは可哀想だからやめなさいっていうんだけど、困ってるところも可愛いからやめられないの。どうしたらいいと思う?』

「結論からいおう。君は間違っていない」

かわいいものを見るとドーパミンが放出されていい気分になる。だがドーパミンは我々が攻撃的になったときにも分泌される。だから脳内で何らかの混線が生じて攻撃的になっているんだろう。

あるいはこうも考えられる。感情が高ぶったとき、脳はエネルギーの消費を必要とされるが、それを抑えて調整するために、正反対の反応でバランスを取る。それが「いじわる」として表れている。

「君は犬を可愛いと思っている。あまりに可愛すぎて平常心を失いかけているため、本能的に真逆の行動をとることで平常心を取り戻そうとしているのだ。わかるかな?」

毎年カンペも見ず、よくスラスラと国策から下ネタまで淀みなく何時間も対応できるよね…とヴィクトルでさえ感心するその番組はもちろん今年も放送されていた。
大統領は最後にこう締めくくる。

「これは、嬉しいときに涙が出たり、悲しみのあまり笑ってしまったりといった反応にも同じことが言える。大人になれば君にもわかるよ」

質問者の女の子に大統領の説明が理解できたのかは謎だが、24歳成人男子の僕にはシッカリ理解できた。

僕は異常じゃない!!
すべては可愛すぎるヴィクトルが悪いのだ!


ヴィクトルは世界一のモテ男だ。
世界の人々はそう思っていたし、僕もヴィクトルをコーチに迎えるまではそう思って疑ったことすらなかった。スマートでカッコよくて美青年で何をやっても絵になる男!
しかし実際目の前に現れた彼は、どこまでも愛らしく可愛らしい無邪気な生き物だった。真面なのはリンクの上に立っている時だけ。他は全部ダメ。可愛いとしか言いようがない。

こんなに可愛くて世間知らずで無邪気な生き物が、よく今まで無事に過ごせてきたものだと感心せざるを得ない。
きっと周囲の人間が幼い頃から大切に大切に育ててきたのだろう。
そんな可愛くて愛らしい生き物を僕は手に入れた。滅茶苦茶にしてやりたいという破壊衝動はヴィクトルへの愛の裏返しだったのだ!

僕はヴィクトル・ニキフォロフという存在を自分を見失うほどに愛している!
自信を持って言える。大統領だってそういっている!

ではヴィクトルと気不味くなっている僕がいま何をすべきなのか。答えは簡単だ。

この溢れ出る破壊衝動という名の愛をヴィクトルに理解してもらうため、僕はリビングを飛び出し鍵がかけられた寝室のドアを一心に叩いた。

「ヴィクトル!もう意地悪しないなんて約束できないけど、でも僕は、間違いなくヴィクトルを愛してる!本当だよ?
どうして僕がヴィクトルに酷いことばっかりするのか説明だってできるッ」

ねぇお願いだから機嫌直してよ!
僕はヴィクトルを愛してるだけなんだよっ
途中で僕をベッドから蹴り飛ばすなんてあんまりだよ!
話し合おう、僕が悪かった。もうアレはしないから!ね!!?